自性院は、慶長16年(1611)に神田に創建、慶安元年(1648)現在地に移った古寺である。

 当院は、愛染堂に安置した愛染明王像で知られ、江戸文化が花開いたといわれる文化文政の頃(1804~30)になると、その名は近在まで広がったと伝えられる。江戸時代中期頃から別名を俗に愛染寺といわれた由縁である。

 愛染明王像は、寺伝によれば、元文年間(1736~41)第九世貫海上人が境内の楠を切り彫刻した。像高一メートル、像内には、貫海上人が高野山参詣のとき、奥之院路上で拾得した小さな愛染明王が納められていると伝えられている。(近年修理をしたところ像内より胎内仏を確認)

 愛染明王は、特に縁結び、家庭円満の対象として信仰されている。昭和12年(1937)1月から翌年5月にかけ「婦人倶楽部」に連載された、文豪川口松太郎の『愛染かつら』は、自性院に安置される愛染明王の縁結びの由来と、本堂前にあるかつらの古木にヒントを得た作品です。作品の中では永法寺と名前をかえて登場しています。

主人公はかつらの木に手をふれ、恋人同士がこうして制約すると、将来かならず結ばれると語っており、この「愛染かつら」はのちに映画となり上原謙(加山雄三の父)と田中絹代が共演し大ヒットとなりました。また、ここで主題歌を歌った男女の歌手が結ばれるといった一幕もあり自性院の愛染明王への参詣する人々が急増した。